あけましておめでとうございます。本年も宜しくお付き合いのほどお願いいたします。
皆さま新年を如何お過ごしでしょうか?子どもと本に関わる職業の方のなかには年末年始休みなく大忙しの方も少なくないと拝察します。私は30日まで勤務し、本日3日から出勤です。年末カウンターでは委託のスタッフさんと「掃除をしていなくても、(お節の)煮物ができてなくても、二日たてばちゃんと新年は来るわね〜」と励ましあっていました。

さて、本題(18日からの続き)です。

まず、再度18日のコメントをアップさせて頂きます
「そもそも、読む本が解らないーという状態がわからない」と、ある方が言いました。学校への読み聞かせボランテイアさんに対しての言葉でした。
自主的・自発的な活動であれば当然、読んであげたい本があって、初めて始まる活動で、読んであげたい本が無いのは活動が自主的ではなく、与えられた(押し付けられた)活動だからなのでしょう。

上記に対し皆さまから頂いたコメントやメール、直接の御意見等が、「選書」に集中したことは、実は予想外のことでした。予想外の原因は、私自身が「読む本が解らないーという状態がわからない」に対し、全面的ではないにしても、ほぼ同意していたからなのでしょう。ところが、今回の皆さまの声を聞いて、このことは決定的な職業的近視眼であることに気付かせて頂きました。少し前の映画に「事件は現場で起きている。会議室で起きているんじゃない!」というような台詞がありましたが、正にこの通り。混乱は現場(教室)ですでに起きていて、会議室(図書館)で議論している場合ではなく、本が先か、行為が先か、を今は問う時でもないのでしょう。それなのに…「読む本が解らないーという状態がわからない」では、なるほど「必ず成功する〜」や「絶対ウケる〜」などの本が求められる訳です。(否定ではなく納得です。念のため…)以前も書きましたが、地図も羅針盤も持たずに、とにかく前へ…と本の大海原に船を漕ぎ出した(きっかけが押し付けられた活動もあり?)方々を如何にサポートするか!が肝心なことです。

私たち子どもと本に関わる誰もが、目の前の子どもを幸せにしたくて活動を続けています。そのことに異論を唱える方はいらっしゃらないと確信しています。ご自分の楽しみのため、だけでは続かない行為です。その原点から軸を外さずに考えると、成功したりウケたり(筆者の意図に関係なく、読み手がその言葉だけに魅かれて選書していることが多い気がします)は必要がなく…子どもの笑顔もその場限りのものでは「本」である必要がなくなります。

くどくどと、長くなってしまいました。実はまだ少し混乱しています。今日の文章も含め、再度整理して後日へ続けます。また御意見いただければ嬉しいです。